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大人のADHDについて思うこと その2

※ADHDで苦しんでいる方への刺激が強すぎるのでは、というご意見をいただきました。とらえ方によっては、攻撃的な文章に感じられるかもしれません。閲覧は自己責任でお願いします。

 

 

nemurenai-same.hatenadiary.jp

 

 

この記事をあげたら、私も思い当ります!って言ってくださる方がちょこちょこ来てくださって、嬉しい反面、続きを書くのをためらってしまったのが正直なところです。

 

でも書いちゃお。

 

ひとつ思うのは、『障害』って、自分の力だけではどうやっても直せない症状の総称だと思うんですよね。気をつければできるとか、頑張ればできることを『障害』っていうのか?っていう疑問。

 

たとえば私は100%、疑いなくADHD脳だけど、失敗もあるけど、努力と工夫で今まで何とかやってこれてるんです。前記事に挙げたADHDの特徴でいうと

 

☆会議や仕事(勉強や授業)に集中できない

 けど、集中しないと留年確定だったらできる

☆仕事(課題)に必要なものをなくしてしまう、忘れる

 けど、海外旅行にパスポートを持っていくのを忘れたことはない

☆仕事(課題)の締め切りに間に合わない

 けど、いつもギリギリで何とか間に合わせてる

☆仕事(課題)を最後まで終えることができない

 けど、終えないとクビになるなら終わらせられる

☆仕事(課題)でケアレスミスがよくみられる

 けど、ミスしたらクビになるような重要書類ではミスしない

☆部屋が片づけられない

 けど、なんとか家族と共同生活ができる程度には片づけられるようになった

☆外出の準備がいつも間に合わない

 けど、本当に飛行機に乗り遅れたことはない

☆家事を効率よくこなせない

 けど、なんとか生活はできている

☆金銭の管理が苦手

 だけど、借金で首が回らないようなことには今のとこなってない

☆約束の時間にいつも間に合わない

 けど、10分前につくこともある

☆約束を忘れてしまう

 けど、忘れないときもある

☆人の話を集中して聞けない

 けど、相手がめっちゃ怒ってたら聞く

 

てな感じで、努力と工夫でできるときもある。

そんな私が、障害を名乗るのは、本当に障害を持つ方に失礼なんじゃないかと。

努力と工夫で、できないことができるようになる人が『ADHDです。発達障害持ちです』とかのたまってたら、もし私が、たとえば耳に障害を持っていたら、ふざけんな、甘えたこと言ってんなって、きっと思うと思う。

だって聞こえないものは、努力で聞こえるようになったりはしないんだから。

 

だから、ADHD脳だとしても、できない、とされてることが、本人の努力と工夫でできたことがあるのなら、できないままでいるのは、やっぱり怠けだし、甘えだし、努力不足なんじゃないかなぁ。

 

普通の人ならさらっとできることでも、私みたいなADHD脳の人にとっては、もんのすごい努力して初めてできることもある。でも、もんのすごい努力すればできるなら、もんのすごい努力しろよと思うし、そこでもんのすごい努力をしないのは、やっぱり怠けだし甘えだと思うから、ちゃんと自己嫌悪しれって思います。自分ね。

 

なんかADHDは『発達障害』に認定されて、なんか理解とかされる風潮だけど、たとえば、あいさつがどうしてもできないって特性を持ってる人も世の中にはいるわけで、でも、あいさつできない症候群?なんてピンンポイントな障害名もないし、だからその人は人知れず努力と工夫と根性であいさつできるようになるしかなくて、もしできなかかったら『あいさつもできない礼儀がないやつ』とか思われるわけじゃないですか。でも努力であいさつできるようになるならなるべきだし、その努力をしないのは、実際怠けじゃないですか。それなのに、ADHD脳の人が片づけられないのはなんで怠けじゃないとか許容されてんのか、納得がいかないんですよね。死に物狂いで努力すれば片づけられるくせに、死に物狂いの努力をしないのは、怠けなんじゃないですか?

 

当たり前のことが当たり前にできないからって、なんでもかんでも『障害』ってするのはどうなのかと。苦手なことは苦手だと、その特性だけをピンポイントで認めて、じゃあできるようになるためにどうすればいいか、工夫して、試行錯誤していけばいいだけじゃないですか。苦手なことを克服する努力は、誰もがしていることだし、それをしないのは、ADHDの人も、そうじゃない人も、怠けでしょ?本読んで、ホッとして、自分を甘やかすなよ、自分!って思う。

 

工夫と努力で直る特性なんて、障害じゃないよ。ただの個性だよ。苦手なことでも、それが生きるために必要不可欠なことなら、努力と工夫で直せるなら直す。そんなのみんなやってるし頑張ってる。

 

たとえば、あいさつできなかったり、電話ができなかったり、人前でしゃべれなかったり、私が当たり前にできるいろんなことが逆にできなくて、でも血のにじむような努力と工夫で、できるようになった人もいっぱいいるんだよ。だから私が、忘れ物をしたり、ケアレスミスをしたり、はんこなくしたり、DVD延滞したりするのは、ADHDだからじゃなく、ただの怠けだし甘えだし工夫と努力が足りないだけのこと。

 

だって『大人のADHD』っていうくらいだから、ちゃんと社会人になれてるんでしょ?それ障害っていわないでしょ?ただの、脳のくせみたいなもんでしょ?

自分のことです。

 

と、いうことで、ADHDだから片づけられないとか、ADHDだから遅刻するとか、ADHDだから忘れ物をするとか、そういう言い方は大嫌い。

 

片づけられないのも、遅刻するのも、忘れ物をするのも、自分の特性に見合った工夫と努力をせずになまけているせい。自己嫌悪になって当たり前。

 

それでも私が、ADHDの本を読んで、スッキリしたのは、自分がダメ人間だから遅刻したり片づけられなかったり忘れ物をするわけじゃなく、そういう脳のくせがあるせいだからと、言ってもらえたから。ダメ人間じゃないと言ってもらえたから。

 

忘れ物が多いからってダメ人間じゃない、そういう個性。

片づけられないからってダメ人間じゃない、そういう個性。

遅刻するからってダメ人間じゃない、そういう個性。

 

あいさつができないのも、ダメ人間なわけじゃなく、個性なのと同じように。

 

そのことがわかって嬉しかった。

 

でもそれだけのこと。

 

死ぬ気で頑張れば忘れ物しないし、死ぬ気で頑張れば余裕を持って出勤できるし、めっちゃ怒られて自覚すればはんこもなくさないし、毎日カードで何買ったかメモっておけばいいし、せんたくもんもいつかはしまえるし、できるんだもん全部。頑張ればできることをやらないのは、なまけ以外のなんでもない。ましてや耳が聞こえないとかとひとくくりになんて、とてもできない。

 

と、私は自分のことを思っています。

 

※あくまで自分のことなんで、ADHDの傾向がある方全般のことを言ってるわけじゃないです。症状がより強くて日常生活が本当に困難だったり、お薬で改善する方がいるのも知っています。

 

ちなみに。

 

保育士さんや社会福祉士さん、それなりの知識のある友人との飲み会で

「私ってADHDなんだよねー」

って言ったら、口を揃えて

「やっぱりそうだよねー!!そうだと思ってたー!!」

って言われて

爆笑。

 なんだその返し。少なくとも「私、障害があります」ってカミングアウトした人に対する反応じゃないし。

しかもすでにバレてるっていう。

友人の一人はさらに

「実はわたしもADHDなんだよー!でも私は注意欠陥もあるけど、多動の方が強くて、頭の中が常に忙しくて大変!!あはは~(爆笑)」

あぁ・・・言われてみれば確かにそんな感じ・・・納得。

そして

「てかさー。みんな誰でも偏ってるんだよ!偏ってない人なんていないよ!それをいちいち発達障害っていってたら、世の中に発達障害じゃない人なんていないよ!!」

 

本当にその通りだと思った。

 

ADHDの本ばっかりが氾濫して、甘えじゃないんだよ、なまけものなわけじゃないんだよみたいなキャッチコピーを見るたびに感じてたもやもやが、スッキリした。

 

余談かもですが。

実は我が家の長女が、ADHD気質がとても強いのです。

自分にもある特性だから、うまくやれない長女のことがとてもよく理解できます。

私自身は子供の頃

「なんでできないの!!」

「なんでできるって嘘つくの!!」

「ちゃんとしなさい!!」

「みんなができることがどうしてあなたにはできないの!!」

「キチンとしなさい!!」

「なんでやらないの!!ねぇなんで?!」

と、頭ごなしに怒鳴られてきたけど、子供ながらに、

なんでできないのかわかったらできるようになってるよ!!それがわからないからできないんじゃん!!

と反抗してました。心ん中で。結果、自己肯定感が全く育たなかったんだなぁ。

なので私は、長女のできないことに対して、なんでできないんだと問い詰めず、どうしたらできるようになるのか、その工夫を、一緒に考えていきたいと思っています。

 

以上。

ADHD脳の私が、自分のADHD脳について思っていることです。

 

ながっ。

 

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