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感想文

本や映画や、いろんなことの感想文を書いています。

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医療の発達していない時代に、私と長男は生存できない

思うこと 今週のお題

今週のお題「行ってみたい時代」

 

子供を出産してからずっと、気になっていることがある。

 

小さな子供は・・・というか、我が家の長男は特に、本当によく、風邪をひいたり、風邪をこじらせたり、ぜんそくっぽくなったり、鼻炎になったり、はたまた食物アレルギーがあったり。

幼稚園に通うみたいな感覚で、小児科に通っていた。

 

そこで、湯水のように処方される薬と、抗生剤。

 

3歳を過ぎれば強くなる、幼稚園に入れば強くなる、5歳を境に強くなる、6歳になると変わる、小学校に入れば強くなる・・・。

節目節目に言われてきたが、ことごとく強くなれず、小学4年生の今になってようやく、小児科へ行く頻度は減ったが、卵アレルギーは完治したはずなのに、本人の精神的なやつで、結局今でも卵は食べられない。

 

こんな風に、薬漬けで大きくなった長男。

 

ほんの30年くらい前、まだ抗生剤が普及していない時代に生まれていたら、4年生まで生きられなかったに違いない。もし仮に生きながらえていたとしても、ものすごく、ものすごく不健康でひ弱で病弱な子供になっていたに違いない。

 

 

 

というかそもそも。

 

 

 

長男の妊娠中、私は病的なつわり『妊娠悪阻』で、水も吐く、胃液も吐く状態が続き、脱水になり、長期間、点滴入院していた。

もし、点滴がない時代だったら、私は脱水で死んでただろうし、自然に死んでなくても、病院のベッドにつながれていなかったら、あの、気持ちが悪い、ただただそれだけの地獄の日々に耐えられなくて、誤った選択をしていたかもしれない。

 

もちろん、もれなく切迫早産にもなり、後期は絶対安静の長期入院。

トイレに行くのも車椅子。

 

そして、当たり前のように、めっちゃ難産。

 

 

もし、『産婦人科』がない時代に生まれていたら、私は、『妊娠』で確実に命を落としていたと断言できる。

 

すると当然、長男も、そして長女もこの世に存在できなかったことになる。

 

まぁ100歩譲って、私が妊娠期を奇跡的に乗り切り、奇跡的に長男が生まれたとしても、長男は生まれてすぐに保育器に入らないといけなかったので、保育器がない時代だったら、それでもう、アウトだ。

 

  

 

というかそれ以前に。

 

 

 

私は、新生児仮死で生まれた。

 

適正な処置を受け(たぶん)、幸運にも後遺症もなく(・・・・・・たぶん)、息を吹き返したけれど、そのまま息をしなかった可能性だってあった。

 

医療がなければ、私は、生まれた瞬間、死んでいたかもしれないのだ。

 

 

そんな私。

 

 

現代医療によって生かされている存在。

 

医療がなかったら、生まれてさえ、こられなかった命。

 

 

まぁ私や長男にくらべ、長女は強いので、医療がない時代に生まれたとしても、生まれてさえくれば、病気になっても自己治癒し、健康に生きていけそうな気がするけれど。

 

 

 

 

子供を育てるようになってからずっと、医療が発達していなかった時代のことが気になっている。

 

人間といえども、とても厳しい生存競争があったんじゃなかろうか。

 

 

多くの昔話にでてくる『おじいさんとおばあさん』。

おじいさんとおばあさんには大抵、子供がいない。

これは昔、生まれた子の多くは子供の頃に病気などで死んでしまい、逆に、子供時代を生き残れた人は、とても強く寿命を全うできるので、『(子供は何人か生まれたんだけど結果的に)こどもがいないおじいさんとおばあさん』が必然的に多かったというリアルなんだそうだ。

 

 

大河ドラマとかでよく見る、江戸の町。テレビも電気もビルも車もコンクリートもない、のどかな街並みに、活気に溢れた人々、元気な商人、お茶屋さんがあったりして、いいなぁあこがれるなぁと、見るたびに思う。

だけど、あの町の人々はみんな『めちゃくちゃ免疫力が強くて医療に頼ることなく生きられる、ごくごく限られた人たち』なのだ。

いいなぁと思っても、私が江戸時代に生まれていたら、まず間違いなく大人にはなれなかった。

 

 

古き良き時代、というけれど

古き良き時代に、あこがれるけど

古き良き時代とは、医療のない時代だ。

清潔な家に住むことができ、食べ物にも困らず、免疫力も高い、本当にごく一部の人しか、大人になれない時代。

 

テレビも電気もない、超アナログな時代に生まれたかったと思ったりもするが、私が今、生きていられるのは、疑う余地もなく電気と現代医療のおかげだ。

そう考えるとやっぱり、現代技術に感謝するしかない。

 

悔しいけれど。

 

次に生まれてくるときは、いったいどんな時代になっているだろうか。

もしかしたら次は、水槽の中から生まれてくるかもしれない。

 

 

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