感想文

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肉食反対を主張する人について思うこと

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私は、肉食反対運動をしている人が嫌いだ。

 

 

その運動は

例えばブログで、屠畜される動物の可哀想さを写真や文章で訴えてたり

ツイッターで屠畜写真を延々垂れ流していたり

菜食を勧めるサイトを開き、子供でも誰でもその映像を見れる状態にしていたり

プラカードを掲げ、着ぐるみを着て、拡声器で声高に肉食の残酷さを叫んでいたり。

 

そして彼らは理論武装もしていて

肉食は体に悪いとか

世界中の飢餓問題の原因だとか

いかにももっともらしいことを並べ立てたりもしている。

 

しかし

それらの主張が例え一理あるものであったとしても

真実だったとしても

彼らが肉食を否定する動機はそこにはない。

それらの事実は

彼らが肉食反対する理由ではなく

自分の主張を通そうとするための後付けだ。

 

 

彼らの合言葉は

『動物はあなたのごはんじゃない』

 

なんだかんだと理屈を並べても

彼らを突き動かしている根底にある思いは1つ。

『動物たちを救いたい』

この一心だ。

 

そして植物性のものばかり並んだ食卓を囲みこう言う。

『いのちの犠牲のない食事』。

 

それに対する『植物だって生きてるんですけど』という反対意見を

彼らは、屁理屈だと一蹴する。

 

 

 

100万歩譲って、その思想を認めるとしましょう。

矛盾だらけではあるけれど

牛を神様の遣いとして食べない宗教もあるのだから

植物を命と認めない考え方もあってもいいのかも?しれない。

 

そしてもちろん、実際、私自身も彼らのように命を差別している。

必要なときは雑草を引き抜いてゴミ袋につめることはできるが

牛の喉をかき切ることはできない。

まぁでも生きるために必要に迫られればできるのかも?しれない。

ただそれは、雑草を引っこ抜くのとはやっぱり訳が違う。

 

確かに私にとってもまた

植物の命は軽く

動物の命は重い

のかもしれない。

だけどやっぱり、畑で農作物を育てるとき『間引く』のは心が痛むよ。

それはやっぱり、罪のない命を奪う行為だから。

 

 

 

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知っている人も多いと思うけれど

この写真は、とある森を下から見上げたところ。

木と木の枝葉にきれいに隙間ができて、まるで空が割れているように見える。

 

『クラウン・シャイネス』

日本語では

『樹冠の遠慮』

という現象だそうだ。

 

同種の木々がほぼ同じスピードで成長した場合に、まれに起こる現象らしい。

まるで木々が、隣の木の光合成をさまたげないように、お互いに遠慮し合って、ゆずりあっているように見える。

この現象の原因はまだ、わかっていない。

 

この写真は私にとって、植物の命を最も実感できる写真だ。

植物は、生きている。

少なくとも私は、そう思っている。

 

 

でもそれは私の思想であって

植物を命と認めない彼らに押し付ける気はない。

 

 

なのに彼らはなぜ彼らの思想を広めようとするのか。

動物を食べないという思想を、理論武装までしてなぜ押し付けてくるのか。

それは彼らが

『動物たちを救いたい』

という目的のもと、行動しているからだ。

その目的の達成のためには

残酷な写真や映像に子供が傷つきPTSDになろうが

我が子が学校でいじめられようが

拡声器で叫ぶ、聞くに忍びない主張が居合わせた多くの人を不快にしようが

そんなことは二の次なのだ。

 

つまり

彼らにとって

人の命よりも動物の命の方が重いのだ。

 

 

とても説得力のあるブログがある。

 

ncode.syosetu.com

 

このブログでは、肉食反対運動家を『動物愛誤家』とした上で、仮にその熱心な活動が実を結び、彼らの願う世界、つまり肉食禁止の世界が成立し、彼らの望み通り、すべての動物たちが救われたらどうなるかを綴っている。

 

以下、一部引用させていただきます。

 

もし彼らの主張が実現し、ある日”生類憐れみの令”が施行された場合の事を考えよう。

 

 まず食肉加工業者は全滅である。そのため加工業一本でやっていた会社はことごとく潰れるか、痛手を払って別の事業に乗り換える必要がある。これだけで全国何万人の失業者が出るだろうか。失業することによって養われていた家族は崩壊し、離散するならまだ良いだろう。それを苦にした父が自殺し、母は鬱、子供は空腹に喘ぎ、学業もままならない。『動物が可哀相』なために。

 

 日本からハムやソーセージが消えることにより、スーパーなどの販売業者も深刻なダメージを受けるだろう。生鮮食品店ならまだ代替の品を用意できるが、吉野家のような肉あっての飲食店ともなれば廃業必至である。

 生類憐れみの令とまで言うのだから、海外から肉を輸入するなんて筋の通らないことは出来ない。つまり肉類の輸出入の業者が破滅するのは当然の事、国は重要な国家運営資金の一部を失う。『動物が可哀相』という思想のために。

 

 では今までその食肉を運んでいた人々はどうなるのだろうか? つまり運輸業を営んでいる人々も目を塞ぎたくなるような損害を受ける。『動物が可哀相』だから、生きている動物を運ぶ為の車両設備も大きな改善が求められるだろう。

 

 動物を守る為には革製品も撲滅しなければならない。女性は有名ブランドであっても動物の皮を使用しているバッグやコートを身に付けることが出来ない。スポーツ選手は愛用している道具に本皮が使用されていれば、それらを全て破棄することを迫られ、今後は人工の素材によって見繕うしかない。


 これだけでも経済的損失は計り知れない。少し持ち直しているとはいえ、全ての国民が恵まれているとは言い切れない現状、路頭に迷う家族がどれだけ出るかはもはや想像に難くない。

 

生活難を苦に命を絶つ人の葬式も急増する。

 

 

「私たちはそんな事を言っているつもりはない!」
「難しい言葉で私たちの理想を貶しても無駄!」


 動物愛誤家は決まってこの様に言う。いや、こんなこまごまとこんな事を言わなくても、黙っていればこう言ってくる。しかし彼らの理想を現実にしてあげるとすれば、上記の予想などまだまだ手ぬるい。『動物が可哀相』と言いたいが為に『動物の一種である人間』が何十万人と失われるのである。

 

 これを”人殺し”と呼ばずして何とするのだろうか?

 

 もちろん動物愛誤家は直接的に人を殺すことを望んではないだろう。しかしその主張が生む結果は同じであり、その思想の行き着く先にはパターンAのような犯罪行為がある。

 

 しかし動物愛誤家が始末におえないのは、尚も「違う、そうじゃない」と言うのである。違う違うと1人で歌っていれば良いが、実際のところそうじゃない。もはや子供の駄々である。

 

名目上『世界の飢餓』を救うための肉食反対運動の行き着く先の世界と、その主張の浅はかさがとても分かりやすく書かれていて、気を抜くと、世界飢餓か・・・と思いそうになるおばかな私はいつも、このブログを読んで冷静さを取り戻す。

 

 

 

 

 

実は私は馬肉が食べられない。

昔は食べられたし、馬刺しも大好きだったんだけど、年1回の地域のお祭りで、子供を無料の乗馬体験に連れて行って馬を見る機会が増え、なんとなく、気が付いたら食べられなくなってしまった。

 

だけど人に『ウマ食べるなんて残酷だよね』なんて言うつもりは毛頭ない。

さらには、中国の人たちに『犬食べるなんて残酷だよ』なんていうつもりもない。

 

みんなそれぞれの価値観で命を差別している。

人によって価値観が違うのは当然だし、それは統一する必要のない価値観だ。

 

その理論でいくと、じゃあ人間の命より動物の命を重んじる価値観があってもいいんじゃないか?という理屈になるかもしれないが、それは違う。

 

動物のために人を殺すのは犯罪だからだ。

 

 

絵本 いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日 (講談社の創作絵本)

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  • 作者: 内田美智子,魚戸おさむとゆかいななかまたち,坂本義喜
  • 出版社/メーカー: 講談社
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  • この商品を含むブログを見る
 

 

これは有名な食育の絵本だ。

ある女の子と生まれたときから一緒に育った、ペットのような存在の牛のみぃちゃん。

しかし生活が苦しくなり、みぃちゃんを屠畜してお肉を売らないといけなくなる。

女の子はみぃちゃんと離れるのを嫌がって泣くが、みぃちゃんは売られ、お肉となり、女の子の家族は救われる。

 

だが

肉食反対運動家はこの絵本を全否定する。

 

 

じゃあ牛も女の子一家もこのまま餓死した方がマシだったとでもいいたいのか。

 

※このツイッター主さんは、1日中、残酷な写真をつぶやきまくってるので、リンクにとばれる方は注意してください。

 

リンクは貼らないが、この方は、イスラム教のハラールのお肉(イスラム教で定められた飼料を食べて育ち、定められた方法で屠畜された食肉)は、麻酔を使わない屠畜方法が残酷だからと、中止を要請する署名運動もされている。

 

数の暴力で信仰の自由まで圧しようとしているのだ。

動物のために。

 

この署名活動を見たとき、肉食反対を主張し、その価値観を人に押し付けようとする行為は、人の信仰を認めずに排除しようとする宗教戦争の動機と、全く同じなんだと気づいた。

 

私はベジタリアンもヴィーガンも否定しない。

自分自身も、初めて家畜の現状を知ったとき、一時期だけれど、お肉が食べられなくなったので、その気持ちは理解できる。

 

でも。

人の迷惑を顧みず

人の命を顧みず

動物を救うという大義名分のために

深く考えもしないで

恥ずかしげもなく

自分たち以外の思想や価値観を見下し

まるで己は動物や世界平和を思う唯一の聖人君主かのように

声高に

 

肉食反対を主張する人が私は大嫌いだ。

 

どんなに優しい人間のように見えても

動物のためには人も殺せる危険思想の持ち主であることには違いない。

 

そしてそんな浅はかな活動のせいで

動物愛護の思想自体が偏見の目で見られ

本来考えるべき主張まで

ただのたわごととして世間に相手にされない現状に

彼らはそろそろ気づくべきだ。

 

苦しんでいる動物を救うために。

 

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