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映画『犬に名前をつける日』を見た【追記】

動物問題 映画感想文

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前の記事に

 

nemurenai-same.hatenadiary.jp

 

『動物モノのお涙頂戴は素直に受け取れませんね』というコメントををいただきました。

 

私のレビューの表現が誤解を招いていて、申し訳ないです。

どうせまとまりのないクソ長文のレビュー記事なので、まとまらないついでに追記。

 

この映画で使われている映像は真実

 

この映画は『動物モノのお涙頂戴』では本来はないんです。

 

愛護センターの殺処分予定の犬たちの姿も

原発の危険区域に取り残された犬たちの姿も

ブリーダーの元で酷い扱いを受けている無残な繁殖犬の姿も

目を覆いたくなる真実だし、多くの人に気づいてもらいたい現実です。

 

それなのに

ドキュメンタリードラマに仕上げたせいで、その真実に色味がついてしまい、すっと胸に入ってこない。

 

たとえば

愛護センターの処分予定の犬が、柵を乗り越え、助けを求めるかのようにこちら側にくるシーンがある。

小林聡美さんの映っている、ドラマパートのシーンだ。

 

そのシーンは真実なのか?

作り物なのか?

その犬は、役者犬なのか?

それとも、本当に処分予定の犬が、柵を乗り越えてきたのか?

 

私には判断ができなかった。

 

真実にフィクションを混ぜ込んでしまったせいで、伝わるべき真実が、嘘っぽくなってしまっているのだ。

 

 

犬猫みなしご救援隊のこと

 

震災のとき、危険区域の犬や猫を救う活動をしていた『犬猫みなしご救援隊』。

私はこのボランティア活動を、震災当時から知っていた。

 

そしてずっと、はぁ?と思っていた。

 

私は子供の頃、獣医になりたかったほど動物が大好きだけど

それでも、人間より犬や猫を優先させるなんてどうかしてると思った。

犬や猫には悪いけど、まずは人間でしょと思った。

そんな資金があるなら、被災して仕事も家族も失った人たち寄付しろよと思っていた。

 

でも、この映画を見て考えが変わった。

 

ボランティア活動のおかげで

泣く泣く置いてきた飼い犬、飼い猫たちに再会できた人たちがいる。

それをこの映画を見て知り

この活動は、犬のためではなく、被災した人たちのための活動だったんだとわかった。

 

 

みなしご救援隊では、今でも仮設住宅に住む飼い主さんのために、たくさんの犬の面倒を代わりに見ている。

仮設住宅では犬を飼えないからだ。

その上、犬たちを定期的に飼い主さんの元へ連れて行き、面会までさせている。

この活動が、被災した飼い主さんの心をどんなに救っているか、愛犬に会えることが、仮設住宅での不便な生活をどんなに支えているか、想像に難くない。

 

素晴らしい活動だと思った。

 

それなのに

それを台無しにするシーンがある。

 

もう4年もその活動をしている救援隊の人は、飼い主さんが仮設住宅で犬を飼えない事情を、じゅうぶんに知っているはずだ。

 

もちろん、飼い主さんだって。

 

それなのに、カメラが回っているその前でわざわざ、飼い主さんに

「おばあちゃん、ポチコ、ここで一緒に住めないかなぁ?」

と、問い

飼い主さんに

「他の人の迷惑になるからできない」

と言わせている。

飼い主のおばあちゃんの声は震えていた。

 

このシーンは何のために必要だったのか。

悲しい、でもどうすることもできない現実を伝えるためか。

 

そんなの、映像だけでもうじゅうぶんに伝わるし、もしじゅうぶんじゃないと感じるなら、一言、ナレーションを入れればいいだけのことだ。

 

この過剰なな演出が、飼い主さんを無神経に傷つけただけでなく、映画を見ている側も白けさせる。

 

少なくとも、このマイナー映画を見に来ている時点で、動物愛護への意識は高いのだ。

もう自分で言いますけど。

 

そんな、人の過去傷をえぐるような演出なんて必要ない。

 

やっぱり、この団体は犬のことしか考えていないのか。

飼い主さんに面会に連れて行くのは、飼い主さんのためじゃなく、犬のためなのか。

 

そう思うと、申し訳ないが、少し興ざめだった。

 

映画にはないが、震災後、このこのボランティア活動に参加した人たちが、毎年、『動物たちにあやまれ』デモ行進をしているのも、世間の理解を遠ざけている。

あれやめさせた方がいいと思うよ。

 

保護犬の譲渡会

 

愛護センターから、処分予定の犬や猫を引き出し、里親を探すボランティア団体が開催する譲渡会

 

もう小さくて可愛らしい子犬や子猫ではなく、成犬や成猫を引き取りたいと志願する人々の存在は本当に貴重だし、そんな人たちのおかげで、たくさんの犬や猫が命をつないでいる。

 

ただ、譲渡会では、飼い主に1度捨てられ傷ついた犬が、もう2度と同じような悲しい目に合わないよう、終生幸せに生きられるよう、里親の条件はものすごく厳しい。

 

それを見極めるのは、ボランティア団体の人たちだ。

 

私も昔、捨て猫を拾った時、里親になりたいと申し出た男子高校生を信用できず、子猫を引き渡せなかった経験があるので、その思いはとてもよくわかる(うちでは猫は飼えないので、保護団体に引き取ってもらいました)。

 

映画の中での譲渡会で、1歳くらいの若い犬をとても気に入り、引き取りたいという、50歳代くらいのご婦人がいた。ご自分に万が一のことがあったら、娘さんが面倒を見てくれることになっているから大丈夫だと話していた。

 

しかし、ボランティア団体の人は、犬があと15年近く生きることを考えると、老年まで、犬が幸せに暮らせる確証がどうしても持てないと、迷った末、結局そのご婦人に犬を引き渡さなかった。ご婦人は、後ろ髪引かれ、ものすごく残念そうにされていました。

 

保護犬の譲渡会にくるというそれだけで、たぶんものすごく、意識の高い人がほとんどなんです。

 

ボランティアさんのその判断はもしかしたら正しかったのかもしれないけれど、受けた印象は、厳しすぎるんじゃないか、犬のことを考えすぎて、人を信用しなさすぎるんじゃないか、というものだった。

 

譲渡会で里親に慣れなかったご婦人がこの先、どうしても犬と一緒に暮らしたいと思ったとき、ペットショップで犬を買うしか方法がなくなってしまうのではないか。

 

それはかなり本末転倒ではないのか?

 

 

小林聡美さんの立ち位置

 

小林さんは、映画の中のドラマパートで、1匹の保護犬の里親になる。

犬と暮らすために、ものすごく広い庭のある大きな家に住み、エサはもちろん手作りだ。はっきりいって超豪邸。さすが小林聡美さん。

 

そして、これが理想の飼い主の姿だといわんばかりの主張が、正直痛い。

この環境を整えられる飼い主さんが、いったいどのくらいいるのか。

ドッグフードは使っちゃいけないのか。

広い芝生の庭がなきゃ、犬は飼っちゃいけないのか。

 

そんなこと言ったら、保護犬の里親になりたいって名乗り出る人減っちゃうよ?

 

 

ドキュメンタリー映画が見たかった

 

この映画に映し出されている人々と正反対の位置にいる、たとえば崩壊したブリーダーさん、たとえば犬を置く余裕のない避難所や仮設住宅の人たち、飼い犬を捨てにくる人、子猫を持ち込む人に、執念で密着した映像を、この映画のドキュメンタリー映像と一緒に流せば、社会に一石を投じるドキュメンタリー映画になったと思う。

 

私が今まで見てきたドキュメンタリー映画はいつも、勧善懲悪では片づけられない世の中の不条理な現実を映し出していた。

 

犬猫の殺処分やペット業界を取り巻く現実もまさに、そんな不条理そのものだ。

 

 

人の心は、自分の目で見て聞いて感じて考えて、初めて動くものだと思う。

 

その現実を見てその人がどう思うかまで、コントロールしようとするから、愛誤だとか言われてしまうのだ。

 

この映画が愛護か?愛誤か?

 

それもまた、見た人の感じ方にゆだねられるものだ。

 

ただ、愛護センターでの殺処分や、震災での動物たちの遺棄、ペットショップの可愛らしい子犬の裏にある繁殖犬の現実など、今まで知らなかった人たちにとっては、それらを知るきっかけになる映画であることは、間違いないと、思います。

 

※ 多くの人に見てほしいなら、リアルファー禁止のドレスコードはなくすべき。

 

 

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