感想文

本や映画や、いろんなことの感想文を書いています。

自分の心を守るためにわたしは見ざる聞かざる言わざるになる

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わたしは心が弱い人間だ。

心を動かされると、それに囚われて精神が壊れる。

心を動かさないこと

心が動くものに近づかないこと

考えないこと

行動しないことは

わたしなりの、自分を守る防衛術だ。

 

 

子どもの頃の、一番最初の夢は、看護婦さんになることだった。

病気の人や怪我の人を助けてあげたいと思った。

だけど、小学2年生のとき読んだ伝記『ナイチンゲール』。

野戦病院で、麻酔のない中、足を切断しないと助からない兵士。

布をかませ、全身を押さえつけ、のこぎりで足を切る。

その行為が、その兵士を助けるために必要だとわかっていたとしても、わたしにはできない、絶対にできないと思った。

わたしは『ナイチンゲール』を読んで、看護婦さんになる夢をあきらめた。

 

 

次になりたかったのは獣医。

わたしは小さなころから、動物が人一番好きだった。

だけど

獣医になるためには、その過程で、たくさんの動物を殺さなければいけない。

生きたまま解剖しなければいけない。

マウスだけじゃない。

犬や猫、牛、馬。

それが結果的に動物を助けるためだとわかっていても

辛すぎて辛すぎてわたしには耐えることができなかった。

わたしは獣医になる夢をあきらめた。

 

 

その次に夢見た職業は学校の先生。

小学校の先生になりたいとおもった。

教育実習は、都心のど真ん中の学校に行った。

 

受け持ったクラスに、学校に来たり来なかったりする女の子がいた。

お父さんは借金と女をつくって出ていき、お母さんはスナックを経営していて、昼間は寝ていて夜はいない。

その子には小さな妹がいて、お母さんに、妹の世話をさせられているからというのが、学校に来られない理由だった。

その女の子は右の目が二重で左の目が一重。

『こっちの目はお母さんに似てて、こっちの目はお父さんなの!』

給食の時間、嬉しそうに話してくれた彼女の笑顔が忘れられない。

 

 

たとえばそんな子が自分のクラスにいたとして、どうやって心に折り合いをつければいいのか。

どうやったって、折り合いなんてつけられないし、割り切ることも、切り替えることもわたしにはできない。

 

わたしは、小学校の先生になるのをやめた。

 

 

介護の仕事をしようとおもったこともあった。

わたしの祖母は認知症で徘徊癖があり、当時入院していた病院で薬を打たれて下半身を麻痺させられた。

今のような老人ホームはない時代。

祖母のいた病室には、祖母のような老人が集められていた。

家族の同意もなしに勝手に喉を切開されて呼吸器をつけられて、ただそこにいるだけのおじいさん。

両手両足をベッドに縛り付けられているおばあさん。

わたしは父に連れられて月に1度、お見舞いに行くたびに、父に悟られないようにトイレで泣いた。

今でもあの病室のにおいを覚えている。

その場所は、ただただ、どうしようもない切なさだけが充満する場所だった。

 

わたしには介護の仕事は無理だと悟った。

 

 

 

 

小学生から高校生までの子どもに接する機会が、今でもある。

 

ネグレクトで夏も冬も汚れた同じシャツを着ている子。

母親の再婚相手に虐待されている子。

自分ではなく、弟が虐待されているのを見ている子。

性的虐待をうけている疑いのある子。

夜ご飯は毎日500円以内のマクドナルドの子。

売春している子。

 

助けようとすると

ずぶずぶと沼にはまり

自分の心が壊れてしまうのがわかる。

だから

助けたくてもその権利がない場所に自分の身をおいて

何もできない、何もしない自分に正当な言い訳をする。

 

それでも気になる子がいれば事情を知ろうとしたし、自分の立場でできるできる限りのことをしようとしていた。

家にいるときもずっと、出会った子どもたちのことが頭から離れなかった。

毎日寝言でその子の名前を呼ぶらしく、話してもいないのに、旦那はその子の名前を知っていた。

 

でも。

自分の守るべき家族がいる今は、逆に、そんな込み入った事情を極力耳にいれないように、知らないでいられるように、自分の心が動かないようにしている。

わたしはわたしの子どもたちのために、自分の心を守っている。

母親のわたしは壊れるわけにはいかないのだ。

 

けれど。

本当は、彼らを助ける力になりたい。

沼から救い出したい。

でも、しない。

 

 

わたしは心のオンオフができない。

気になることがあると、すべての心を持っていかれてしまう。

仕事だからと割り切ることも

他人だからと割り切ることも

プライベートだからと切り替えることも

自分にはどうしようもないからとあきらめることもできない。

 

そして無力な自分に

変えられない現実に心を壊されてしまう。

 

そんな自分の精神を守るために

見ざる聞かざるになることは、はっきりとした弱さだ。

だけどわたしはそうしないと

生きていけない。

 

 

わたしは人と関わろうとしては

動物と関わろうとしては

自分の心が壊れることに怯え、きびすを返してきた。

 

 

このブログでは、何度も、動物愛護活動をしている人たちを批判してきた。

だけど

動物たちの置かれている悲惨な現実としっかり向き合って

行動に移している彼らの方が

ずっと強くてしなやかに生きているんじゃないか。

たとえ方法には賛同できなくとも。

 

 

 

それに引き換え

自分の精神が崩壊しないように

こんな場所で見て見ぬふりを貫いているわたしは弱くてずるい人間だ。

いや、見てるのに知ってるのに動かないわたしは、それ以下だ。

 

たとえ迷惑行為だとしても

肉食反対デモを全力で敢行している愛護団体を

なにもしないわたしが

批判なんてできないのかもしれない。

 

 

わたしは鶏肉を食べる。

ニワトリはせめて、殺されるまでは、命の尊厳を守られていてほしい。

そんなこと、ここでつぶやいても何の意味もない。

ただのぶりっこの偽善者だ。

 

www.youtube.com

 

真冬の雨の日、あまざらしのまま、屠畜を待つニワトリ。

業者が悪いんじゃない。

関心を持たない

いや関心はあるくせに

変えようと努力すらしないわたしが悪い。

できる努力はきっとあるはずなのに

しないわたしが悪い。

 

 

www.youtube.com

 

採卵養鶏場で、卵を産まなかったり病気で食用にならなかったり弱った鶏は

床に死ぬまで放置されて殺されるそうだ。

そんな鶏のために、わたしにもできることが絶対にあるはずなのに

でもしない。

 

 

nemurenai-same.hatenadiary.jp

 

わたしたちの着る服をつくってくれている発展途上国の人たちは

奴隷のように扱われている。

幼い娘と一緒に暮らすことすら敵わない母親がいる。

わたしはその事実を知ってからも

彼女たちを助けるための一切の行動をおこしていない。

 

 

不買いで世の中を変えられるわけなんてない。

自分はその暴力に加担していないという優越感を得るための

ただの偽善。

ただの怠慢。

  

 

 

 

 

だけど

今のわたしは

わたしの弱い心を壊さないよう

家族を守って生きていくのが精いっぱいだ。

 

 

まずは知ることから?

 

この動画は静止画の連続で全然グロくないです。

余計なBGMを消してぜひ。

 

www.youtub

 

なんて

こんなぬくぬくとした家の中で

ビール飲みながら

自分を守ったまま

カタカタキーボード打って

動物愛護気取ってる自分が大嫌い!!

反吐が出る偽善者。

 

「ねむれないさめ」っていうブリッコ動物愛誤ババアキモすぎるWWキチガイすぎる。

 

 肉と酒と昆虫食をヘラヘラ貪ってマジキモい。ゲスい。
自称ヴィーガンのほうがまだマシな人種。

 

本当に彼女の言う通りだ。

 

動物愛誤は

わたしの方だ。

 

悲惨な現実から目を背け

きれいなものだけ見て

見ざる聞かざる言わざる。

 

 

こんな生き方しかできない。

でも

わたしはわたしの大事なものを守って生きていく。