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好きな人の死を悲しんではいけないという呪い

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中学生の時の国語の教科書に載っていた、孟子だか孔子だか、それとも論語だか、現代文だか漢詩だったかも、もうわからないその文章が、私の価値観に影を落としている。

 

その内容はだいたいこんな感じ。

 

師匠が亡くなって、その弟子たちか、師匠の眠る周りでおいおいと泣いている。

しかし師匠を思い憐れんで泣いている者は1人もいない。

みな『師匠を失った自分』を憐れんで泣いているのだ。

なんて自分勝手で傲慢で我儘なのだろう。

 

7年前、父が亡くなった時、父にもう会えない悲しさで泣くことは、自分勝手な感情だと思って素直に泣くことができなかった。

 

父は自ら死を選んだのだから、父の意思を尊重することが『父を思うこと』だと思った。父の死を『悲しい』と感じるのはのはわたしの身勝手な感情だと感じ、封印した。

 

ただ、死んだ父のことは心配だった。

 

世の中の『霊能力者』はみな、自殺すると成仏できないとか、地獄に落ちるとか、死んだことに気づかずに何度も自殺し続けるとか、死ぬより辛い目にあうと、『自殺したら超不幸になる』論を唱えていたから。

死後の世界的な本もたくさん読んだ。

 

どの本にも大抵同じことが書かれていて

自殺するということは、持って生まれたカルマを放棄することだからなんたらかんたら

 

 

そしてわたしは

父がそんな酷い目にあっているかもしれないなんて思いたくなくて、『死後の世界なんてない』『幽霊なんていない』と思うことに決めた。

 

だから

父が亡くなってから7年間、わたしは1度もお墓詣りにいっていない。

お墓参りにいく意味を見出せない。

 

父がもうどこにもいないなら

父の骨がただ下に埋まっているだけの四角い石に

定期的に通うなんて意味のないことに時間を割く気になれない。

 

父を思いだして

無駄に泣きたくない。

だって泣くのはわたしの身勝手な感情だから。

 

本当に父のことを思うなら

自分で死んだ父を責めちゃいけない。

父がいなくてさびしいかなしいなんて自分勝手なことを言ってはいけない。

 

 

呪いに近いその感情は

わたしに、素直な気持ちを吐露することを今も禁じている。

 

もっと父と話したかった。

父に聞きたいことがあった。

父に見せたいこと聞かせたい声がたくさんある。

父に、父自身を許してほしかった。

かっこなんてつけてほしくなかった。

 

父に生きていてほしかった。

 

ぜんぶ

自分の身勝手な感情のような気がしていて

そんな風におもう自分を我儘な人間に感じる。

 

 

だから

わたしには

死んでしまったら泣くほど大切な人がいない。

 

 

 

死んだら悲しいとか

死ぬのがこわいとか

死んじゃダメだとか

その辺のことぜんぶ

よくわからないし

あまり考えたくないし

わかりたくもない。

 

 

ただ

母が死んでしまってもわたしは泣かないだろうなとは思う。

 

うまくまとまらないけど

そんな自分がものすごく不健全な気がした。

 

 

どうしてくれるんだ中学の国語の教科書。

たしか光村じゃなかったかな。

お前が中学生のわたしにかけた呪いは

今も解けずにいるよ。